畳屋のおじいちゃんの話

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『畳屋のおじいちゃんの話』
小学校3年生の時のお話です。

昼休みに廊下で逆立ちをしようと
足を思いっきり振り上げた時、
壁に掛けてあった消火器を
その足で蹴り落としてしまった。

私の右手の親指の上に
重たい重たい赤い消火器が
どーーーんっと落ちてきた。

消火器の底には支えの為なのか
薄い鉄の板が逆L字型に付いていて
私の親指を見事に切断しました。

泣き叫ぶ私の声を聞いて
担任の利光京子先生が飛んできたの。

偶然、教室にいた先生が
油性マジックを添え木にして
服を破ってぐるぐる巻きにしてくれた。

救急車で病院に着くと
大人が4人がかりで私を抑えて
ほぼ麻酔なしで13針も縫った。

痛みよりも
ただ、ただ怖かった。

縫い終わったけれど
指はくっつくことなく
日々、黒ずんでいく。

お医者さんが母に言いました。

お腹やお尻の肉を移植して
指の形に形成するか、
18歳になった時に
お母さんの指を移植するか…ですね。

そんな時、私の住んでる大分市に
新しく大学病院ができました。

お父さんが私の指を心配して
大学病院に相談に行きました。

私の指は、
ほぼ切断されていたけれど
消火器の底の鉄の板が鋭くなくて
たくさんある皮のうちの2〜3枚だけが
切れずに残っていたんだって。

今の医療の技術だと
切り落とした指も
場合によってはくっつくけれど
40年前は
『皮が残ってたらくっつくのか』
っていう段階だったみたい。

『大学病院としても
 成功するのかを試したい。

 すぐに来てください!』
と言ってもらえて
私は大学病院に転院しました。

でもね、入院中って暇なの。。。
指以外は元気だもの。
ご飯くらいしか楽しみがない。

小学生の私は
時間と体力を持て余してました。

看護婦さんに
「あまりにヒマだから
 なにか手伝うことありませんか?」
って訊いたら
「じゃあ患者さんの体を拭くおしぼりを
 クルクル丸めてもらおうかな」
って言ってもらえた。

消毒された大量のおしぼりを丸めて
蒸し器のような入れ物に入れていく。

1時間以上かけて、ひたすら丸める。
あぁ。。。楽しい。。。
それでもまだまだ時間はたくさんある。

私はおしぼりを配る時も
お手伝いするようになりました。

おじいちゃん、おばあちゃんが
「お手伝いして偉いねぇ」
って褒めてくれるの。

それが嬉しくて嬉しくて。

おばあちゃん達は
朝食に必ず出てくるヨーグルトを
私にくれるようになりました。 

(なぜかくれるの、おばあちゃんばかり)
食堂に共同の冷蔵庫があってね、
そこに私宛にヨーグルトを置いてくれるの。

私の本名は
亜美ではなくて智恵子なんだけど
ヨーグルトにマジックで
『ちえちゃんへ、○○○より』
って毎日、何個も置いてある。

多い時は10個くらい食べてた。

ちょっと甘めのヨーグルト。

美味しかったなぁ。。。
暇だった私は
だんだん忙しくなりました。
だってヨーグルトのお礼を兼ねて
おばあちゃん達に逢いに行くんだもん。

一緒に絵を描いてくれるおばあちゃん。
(白無垢の花嫁さんの絵が上手だった!)
あやとり教えてくれるおばあちゃんや
ただ一緒に昼寝するおばあちゃん。

編み物を教えてくれたおばあちゃん。
(私はくさり編みばかりを長く作ってた)

ここぞとばかりに
おばあちゃん達に甘えまくってました。

ある時ね、
病院内をウロウロしてたら
病室のドアが開いてたの。

薄暗い部屋を覗き込むと
中にはおじいちゃんが一人。

気になった私は中に入って
おじいちゃんに話しかけました。

でも返事もしてくれないし
目も合わせてくれない。

少ししょんぼりしたけど
次の日も私はその部屋へ行き、
「おじゃまします」
って言って中に入りました。

やっぱり返事もしてくれない。
むっつりした顔で怒ってるみたい。
迷惑だったかな。。。

薄暗い部屋で
じっとしてるのが好きなのかな…
でも私、
おじいちゃんの笑う顔が
無性に見たくなったんです。

それから毎日、毎日、
しつこく通うようになりました。

今日はヨーグルトを何個、食べたとか
一人あやとりできるようになったとか…
返事がなくても話しかけました。

ある時、おじいちゃんが
「そこの引き出しを開けなさい」
って話しかけてくれた。
(やった✨)

張り切って引き出しを開けると
赤と黄色の紙テープが入ってました。

おじいちゃんに手渡すと
まず30センチ位の長さに手でちぎり
なんとも器用に折ったり編み込んだり…
あっという間に
10センチくらいの長さの
本のしおりが出来上がりました。

「おじいちゃんすごいっ!
 やりかた教えて!!」
それからは毎日、
おじいちゃんのところで
たくさん、本のしおりを作りました。
(今でも私、本のしおり作るの得意だよ♪)

母にお願いして
いろんな色の紙テープを
買って来てもらって
おじいちゃんの部屋で
いっぱい作りました。

時には2メートルくらい長いのを作って
クルクル丸めて内側からテープを貼って
カゴや箱を作ったりもしました。

おじいちゃんの部屋が
どんどんカラフルになっていく(笑)
私の指はといえば、見事に繋がって
少しずつ血色も良くなってきました。

そして退院することが決まったの。
入院してた期間は1ヶ月くらいかな?

おじいちゃんに
退院することを伝えに行きました。

「住所を教えなさい」
そう言われて
住所を書いた紙を渡すと
おじいちゃんは
初めてにっこりと笑いました。

この笑顔が見たかったの!
嬉しくて嬉しくて
おじいちゃんに抱きつきました。

そして無事に退院できた私。

だけど
毎日のようにポストを見るけど…
待てど暮らせど手紙が来ない。

1ヶ月くらい経ったある日、
私宛に小包が届きました。

『おじいちゃんからだ!』
中を開けてみると。。。
20センチ位の大きさの
小さな畳の敷物が4つ。
四角と丸と六角形と長方形。

この『ミニ畳』にもちゃんと
可愛い柄の『ヘリ』が付いてる。

封筒の中に手紙が入ってました。

でも、手紙を書いたのは
おじいちゃんではなく娘さん。

おじいちゃんは
畳職人だったみたいです。

その手紙には
ある日、紙テープを買ってこい
と言われたこと。

お見舞いに行くたびに
病室がカラフルになっていって
とても驚いて笑ってしまったこと。

畳を作る道具を持ってこい
とおじいちゃんに言われたこと。

それはそれは
周りが心配するほど
一所懸命に作ってたこと。

いろんなことが書いてありました。

4つの作品を作り終えて
この住所に送るようにって
娘さんに託したおじいちゃん。

それからすぐに
天国に旅立ってしまったそう。。。

先日、京都の町を歩いていた時にね、
小さな畳屋さんを見つけました。

ふと
おじいちゃんを思い出したの。

私にとって温かく、
とても大切な想い出。

ひとつひとつ思い出して
言葉に起こしたくなりました。

こんなに長い文章なのに
読んでくれてありがとう✨
私の大切な想い出を
共有してくれてありがとう
。。。。。。。。。。。。。。。
*写真はネットで見つけたものです
 本物は実家にあるの♪

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