あかおかずのり – 気まぐれ日記

あかおかずのり

死の恐怖とは、突然やってくることもある。

僕はそれを思い知らされました。

5月31日(日)
朝から、次女と長男がやっているミニバス(バスケ)の練習試合を、奥さんと次男坊と一緒に小学校体育館に観に行きました。
長女は中学校の二泊三日の研修旅行でした。

お昼前、我が子らの試合を目の前にウトウト眠くなりまして、自分の親心の薄さに、我ながら呆れつつ一足先に帰宅、ソファーでスヤスヤ。。

言い訳をすれば、最近夜中から明け方に咳き込むことがよくあり、熟睡できない日が続いてました。

僕は小児喘息でした。
小さい頃は、病弱でガリガリで、運動会の参加もままならないほどでしたが、小学校4年生のころにはすっかり良くなりヤンチャになり、キャプテン翼にハマったよくあるサッカー少年でした。

それから…

大人になってからは風邪は多少ひきやすいものの、割と元気なほうだったと想ってますが、家族には弱いイメージがあったみたいです。

季節の変わり目がダメでした。春、秋、、
アレルギー性気管支炎、アレルギー性鼻炎、寒冷アレルギー、、

喉の調子が良くないこともしばしば。。鼻声しばしば。。
それでも、あまり深く考えなかった。

年に2,3度、あまりにヒドくなった時だけ病院にいき、1週間前後の薬をもらい、先生の「またきてください。」も無視。
薬全般に対する、無知なくせに中途半端な疑いを盾に、ちょっと調子が良くなるとすぐに薬をやめてました。

で、、忘れた頃、また具合が悪くなれば、またすがるように病院へ。
そうやって、自己診断、その場しのぎでこの日まで過ごしてきました。

正解はわからない。けど、、僕が正解ならば、、
今僕は、この文章を病院のベッドで書いてはいないでしょう。

ここ数年、、なんとなく、、いや、確実に、咳き込んで苦しくなることが多くなってきました。

自分でも、なんとなくちゃんと把握もせず、行き当たりばったりに行った病院で聴いた、先生の発したワードを繋いで、気管支喘息の発作みたいでね~」みたいに使ってました。

そして、、5月31日の夜、そんな僕に釘を刺すように、奥さんが「だからちゃんと病院に行きーよって言ったでしょ!」「明日行かなきゃよ!」と、何かに駆り立てられるように、ネットで病院を調べ、ひとつの病院に電話。

当直の先生としばらく話したあと、僕に変わりました。
その先生は、僕としばらく話したあと、「このあと発作が起きたときは、救急車か、救急病院に行ってください。なにもなければ、明日、うちでもいいし、近くの、呼吸器内科のある病院に行ってください。」と、かなり大袈裟なことをおっしゃって電話を切りました。

<まさか~そんな~笑>

それに近い感覚を持った僕は、とりあえず明日朝から病院に行こうと、重いココロの腰を上げていつものように就寝しました。。
そして、午前3時頃。。。。

いきなり、むせたように咳き込んで目が覚めました。
また、いつものコレか、、と、しばらく、自分の身体から溢れ出すような咳に付き合ってたら、、、

<とまらない…><苦しい…> <とまらない…><苦しい…> <とまらない…><苦しい…> <苦しい…息苦しい…>思わず、、「苦しいぃぃぃ、、」

気がついた奥さんが、しばらく、思いつく対処をしつつ、「救急車呼ぼうか、、」「いや、そこまでは、、」「急患センターに行く?」「いや、、たぶんしばらくしたら落ち着くけん、、」

落ち着くどころか、、とまらない咳…寝室ではうるさいし、子どもたちも寝てるし、思わず、リビングへ、、
ところが、、足元もままならない、、目も見えてるのに、見えない、、ヒドい立ちくらみ、脂汗、、もう、会話すらできない、、

奥さんの、「救急車呼ぶ!?」と問いに、答えようにも声が出ない、、<<これはヤバい、、、>>

そんな遅すぎる自己判断の中、、救急車を呼べば、子どもたちが起きてしまう、、こっそり、静かに、奥さんに急患センターに連れてってもらおう、、そう思い、どうにか、「行く…連れてって…」と、伝えたような気がします。

それからは、一秒でも早く、病院に到着したかった。。苦しくて、苦しくて、、

<こうやって死ぬのか…>と、薄れ溺れるような感覚の中、イヤだイヤだイヤだ、、、と、意識の中で、なにかに泣きついていました。

正直に言います。僕が、生まれて初めての恐怖の中想ったこと、、それは、、<まだCDが完成してないんだ!!>
これは、父親として僕が未熟な証拠だと想う。母親なら、奥さんなら、真っ先に子どもたちを想うでしょう。いや。これは未熟なのではなくこれがきっと、僕の本質なのでしょう。

その後、無事急患センターに着き、応急処置の吸入治療をし、ひとまず落ち着きました。
それから、、~喉元過ぎれば熱さを忘れる~死ぬかもしれない恐怖はまだリアルに覚えつつも、落ち着きを取り戻した僕は、いつものいいかげんさも、若干取り戻しつつ昨夜電話した病院へ。

そして、診察。担当の先生がひとこと。
「これから精密検査をしてからの判断にはなりますが、現状みて、十中八九、入院でしょう。」と。。
「えっ、、にゅーいん?」

一瞬、、自分が、顔が笑ったようなためらいをしたのを覚えています。
これまで通り、ちょっと治療して、クスリもらって、はい終わり~じゃないん?!?!それから精密検査。。

そして、即、入院決定。。

僕はふたり兄弟。3つ下の弟の誕生日である、6月1日、ジーンズに長Tのまま、入院しました。。

とはいえ、、ご心配なく!文章が、かなりオーバーになっちゃったけどむしろ、安心です。

自分の身体と向き合うチャンス!
曲を紡ぎ歌い続けるため、喘息について勉強します。

まずは、こんなワガママ夫に、命と向き合うチャンスをくれて、家のことプラス、急な入院の準備をしてくれた奥さんに感謝!

打ち合わせの日取りをばらしてくれた、マーニーに感謝!
制作中のアルバムレコーディングの日程をずらしてくれたズンさんに感謝!

そして、自分のことのように本気で心配し、打ち合わせ、レコーディング、、その他もろもろ調整してくれたmonに感謝!
僕はなんて幸せ者なんだろう。

さっきも書きましたが、文章がかなり大袈裟になってます。もちろん、ありのまま書いたのですが。
予定では、数日入院し、治療したあと、ちゃんと喘息と向き合いつつ、今度の日曜日のグースマンショーには出演するつもりです!

なので、ご心配なく、ね!あと、お見舞いは、今後のライブ参加と、Newアルバムの予約でね!笑

あかおかずのり

~~あとがき~~

今回のこと、報告なしか、事後報告程度に、と想ってましたが、、
僕のように、喘息の怖さを知らない方に知ってもらいたいのと、なにより自分への戒めと約束の為に記事にしました。

喘息の発作は、「ちょっと咳き込んだ」のではなく、死に至るケースもあるということを学びました。
なんの病気でも、治療はさまざま。薬との付き合い方もさまざま。

大切なのは、「ちゃんと知ろうとすること」ですね。
長ったらしい文章を、最後まで読んでくださったことに心から感謝します!

ありがとう!
こんな僕ですが、これからもよろしくお願いします!

mon(高橋亜美)へのライブ、イベントのご依頼はこちらからお願いします。

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