キラッと光るものを発見!

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歩いてたら道路に
キラッと光るものを発見。

パチンコ玉だ!

なんだか嬉しくなって
ポッケに入れました。

私は生まれてすぐに
家庭の事情で
おばあちゃんに預けられて
約6年間くらい
ばあちゃんと
2人きりで過ごしました。

ばあちゃんは四六時中、
多動症の私の相手をしてくれて
愛をたくさん注いでくれました。

そんな
ばあちゃんの息抜きは
たまに行くパチンコ。

ばあちゃんが
パチンコをしてる間に
私は椅子の下や台の隅っこの
パチンコ玉を拾い集めます。

両手いっぱいに集まると
ばあちゃんは嬉しそうに
「ありがとう」と言います。

褒められると嬉しくて…。

私は張り切って集めます。

玉を拾い集めていると
わざわざ『ひとすくい』
自分の持ち玉をくれる人もいます。

「おじょうちゃん、おいで」
そう言って、私の手のひらに
玉を入れてくれます。

見た目は怖いけど
心根は優しい人です。

ばあちゃんは玉を返金した後、
余った玉で私の好きなお菓子を
よく、もらってきてくれました。

私が好きだったのは
キャンディの首飾り。

食べるのがもったいなくて
ベトベトになるまで
首にぶら下げてました。

一般の方のパチンコの印象は
どうなのかは判らないけど
私にとってのパチンコは
あったかい想い出。

私はキッカケがなくて
パチンコをすることはないけれど
ばあちゃんの膝の上で
パチン、パチンと打たせてもらって
チューリップに入った時の興奮。

あの空気感。
怒鳴ってる人。
笑ってる人。
落ち込んでる人。
台を叩いてる人。
タバコの煙で濁った感じ。

なんの職業か
わかるようでわからない
いろんな人の集まり。

見た目ではわからない
人の優しさや温もり。

ばあちゃんの吸う
『わかば』のタバコの香り。

その帰りの銭湯で
頭に硬い石鹸をゴリゴリされる感覚。

たったパチンコ玉ひとつで
いろんなことが蘇った。

記憶ってすごい。

普段は思い出しもしないのに
ふとしたことで引き出しが開く。

逢いたい人に
今はもう逢えない。

当たり前だった時間を
噛み締めるように想い出す。

あの時もっと、
味わってれば良かったな。。。

そう思ったら
胸がぎゅうっと切なくなった。

もしも今、
愛しい人を当たり前に
抱きしめられる環境なら
目一杯に味わって
噛み締めて匂いを嗅いで
のちの自分へのご褒美に
『記憶』として焼き付けてください。

年老いた時、きっと
『匂い』や『物』
という形になって
思い出させてくれます。

それはギフト。

ギフトになるのか、ならないかは
今、記憶として焼き付けるかどうか。

その方法は
今を感じるだけかも。。。

シャッターを切るように
今を感じるだけかもしれないね。

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